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米沢の観光

直江兼続の人間学

直江兼続の兜

「愛の兜」上杉神社所蔵

直江兼続イラスト

直江兼続
(かねつぐ)
(1560-1619)

 幼少から上杉謙信、後に景勝に仕えた知勇兼備の名将。上杉家が会津120万石に移封の際には米沢城を与えられ、その後上杉家が米沢に移封してからは、執政として城下の整備を指揮しました。

 兼続は今の米沢の町の基礎を作った人で、特に土木治水に力を入れました。中でも「直江石堤」は最上川の氾濫を防ぐために築かれた石積みの堤防で、約1・2qにわたり続き、現在は直江堤公園として整備されています。  兼続を一言で表わすなら「決断力のある人」。ブレーンとして上杉家家臣を統率し、景勝の信頼も厚く、景勝の家臣でありながら、豊臣秀吉が自分の直臣にしようとしたほどの実力者です。  兜につけた「愛」の前立てが印象的ですが、これは兼続の「愛民」の精神を武将としての信条としていた証であると言われています。人を大事にする兼続の精神は上杉鷹山の時代まで受け継がれ、それが今でも米沢の人々の優しさと、助け合いの気質にもつながっているのだと思います。

人物案内人
山交バス(株)
バスガイド 原田知佳さん

直江石堤 直江石堤

 

上杉家と米沢の関係

 米沢は上杉家の治世272年の城下町として、上杉家ゆかりの名所や旧跡が数多く残り、文化の伝統を引き継ぎ歴史が息づく町として歩んできました。その城下町発展の基礎を築いたのが、初代藩主上杉景勝公と執政直江兼続でした。その後、藩の財政は傾き衰退の一途をたどっていましたが、そんな中で藩主になった上杉鷹山公は、「民の父母」精神により民衆を愛し、藩政改革をすすめ、自らが率先して取り組みました。鷹山公が進めた殖産興業では、米沢織、米沢鯉、笹野一刀彫、うこぎの垣根など、今も米沢の特産品として受け継がれています。  大河ドラマが始まると、米沢を訪れる人が増えると思われます。私たち市民一人ひとりがおもてなしの心を大切に、お客様を歓迎し、米沢の魅力、歴史と伝統文化を伝えていきたいと考えています。

青木一成さん

案内人
(社)米沢観光物産協会
青木一成さん

 

上杉家ゆかりの人々

上杉謙信  米沢上杉家の家祖。川中島の合戦を武田信玄と戦い、近代戦術の 祖とも言われる戦上手な武将でした。一方で人物は清廉で、文学や道義にあつい文武両道の人であったと言われています。

謙信イラスト

上杉影勝  初代米沢藩主。叔父である謙信の養子として上杉家二代目を継ぎ、豊臣秀吉の信頼が厚く会津百二十万石が与えられましたが、関ヶ原の戦いで西軍に加勢したことにより、米沢三十万石に減封・移転されました。

上杉景勝

上杉鷹山  第九代米沢藩主。財政難で崩壊寸前の米沢藩を数々の改革により救いました。自ら一汁一菜を実行し、鍬を持って開拓などを行い、「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」の精神は、今も世界中の人々に崇敬されています。

 当時の武将の中でも変わったことを行う「かぶき者」として知られ、文武両道に優れ、多くの戦場で活躍した豪傑です。直江兼続との親交により上杉景勝の家臣となり、米沢で余生を過ごしたと言われています。

前田慶次

上杉家ゆかりの地を歩いてみよう

上杉家廟所
 上杉謙信を中心に、12代斉定まで上杉家歴代藩主が祀られています。樹齢400年を超える杉の木が静寂な雰囲気を醸し出しています。国指定史跡

上杉家廟所

上杉神社
 上杉謙信を祀る神社。現在の本殿は、明治神宮などを設計した伊東忠太(米沢市出身)の設計よるもので、大正12年に竣工しました。

上杉神社

上杉記念館
 鶴鳴館と称された旧上杉伯爵邸で、庭園を眺めながら米沢の郷土料理を味わうことができます。国登録文化財。

上杉記念館

伊藤忠太日本建築史を創始したことで知られる、米沢市出身の建築家。数多くの神社仏閣の設計を手掛けており、築地本願寺、湯島聖堂、靖国神社神門などが有名。米沢市名誉市民。